2013年12月31日火曜日

今年も今日で終わりです

大晦日の朝も、自家用味噌の米麹作りではじまりました。今朝は仕上がりの日、完璧でした。

外に出ると、ちょうど夜が明けてきたところでした。オヤ?三日月も。

庭の楓が、幾らかの葉っぱを残してくれました。名残りの紅葉です。朝焼けを見ても、シアワセ!葉っぱを見てもシアワセ!今日もブログを書けて、シアワセ!

2011年9月に始まったこのブログの投稿が、230回を超えました。私がこれほどブログにハマるとは思いませんでした。キッカケを作ってくれたのは息子です。

昨日、息子家族が帰省したので聞いてみました。

ねえユータ、オレにブログを勧めたキッカケは何だったの?

ウーン、ウチの奥さんへのお父さんからのメールを見てるうちに、ふと思いついたんだ。お父さんの文章が、変化に富んでいて面白いので、ブログを勧めたというわけ。

そうだったのか。ありがとよ。

お父さんのブログの読者がいっぱいいるよ。大したもんだよ。

そうかい、230回も続いていると記事探しが大変だけど、ますますヤル気になったよ。

そうだよ、それだけアタマ使ってればボケないよ。

・・・・・

てなわけで来年もブログを続けますので、ヨロシク。

さあ、餅切りでもやるかな。

 

イヨ!一人前‼

今井家恒例の餅つきです。小学1年の孫も餅つき大好き。まずは、

ふかし上がったもち米を杵で捏ねることから。杵持つ手つきも慣れたもんです。コレが一番力を使います。次は、

もちつき!コネどりはママ。母子の共演、ママ至福の時間。

搗き上がったモチは、のし餅に。

小学校1年生で、餅つきをマスターしたようです。餅つきの後継ぎの誕生。イヨッ一人前!

私?餅は12臼ついたのですが、私は2臼半でギブアップ。それでも杵音を隣近所に響かせて、なぜかご機嫌の私でした。イヨッ見栄っ張り!

 

2013年12月27日金曜日

孫誕生のお礼に

 

そこは、杉の巨木に囲まれて静かに存在してました。

本殿の修復が終わり、檜皮葺きの屋根が、黒漆塗りの柱が輝いていました。

 

ムダを排除した省略の美といえる美しさに感動しました。

私らも茅の輪をくぐり、息子夫婦に子が誕生したことを報告しました。そして新生児の健康と幸せを願うお守りを土産にしました。

帰りがけ、ふと見上げると屋根に積もった落ち葉を丁寧に掃き下ろしていました。命綱も着けず、急斜面を登ったり、下ったりと見ている私が怖くなりました。3階の高さで恐怖症になる私です、スカイツリーに登れるかなあ?山登りが好きな私の一番の願いは、下るだけで頂上に登れる山を見つけることです。一つは見つけました。他にないか探してます。

元へ。

香取神宮は静かさの中にも、新年を迎える喜びと緊張の中にありました。

 

2013年12月21日土曜日

青年は畑を目指す

 

3日ぶりの晴天の下で、Kさん家族総出でブロッコリーの収穫です。

コレがそのブロッコリーです。店に来たお客様が、喜んで買ってくれます。脱サラして農業三年目のKさんが、こんなにも見事な野菜を作るのです。さすがは我が自慢の教え子です。

そのKさんが、ここ築比地で野菜作りをしている仲間を三人連れて来ました。内二人は、しゅん・あぐりのSさんとIさん。Iさんの小松菜は美味しいと評判です。もう一人は独立したばかりのAKファームのUさん。いずれも30才ぐらいの青年です。みなヤル気十分。頼もしい限りで、私らも元気になりました。

三年前までは、畑の大部分は休耕地でした。そして自家消費分だけ高齢者が野菜を作っていました。それが今、畑で働く人は、青年が中心です。農業に未来を託す若者が増えてます。

年寄りの評論家などがわけ知り顔で「今時の若者はダメ」と言っているのを聞くと、腹が立ちます。若者たちは、今までとは違う尺度で行動し始めています。極論すれば、私ら団塊世代などが高度成長の名で破壊し、捨てたものを修復し始めたのです。その象徴が車の免許を取らない、車を持たない、住まいなどもシェアーすることだと思います。若者は今までとは違う社会を創造しようとしているのではないでしょうか。

 

2013年12月19日木曜日

130才物語 4 それでお客さん来てくれる?

山歩開店を前にして健夫さんと妙子さん夫婦が連日もめてるんですよ。普段は大人しい妙子さんが、自分の考えを主張するなんて珍しいので、私はドギマギしたね。離婚しちゃうかも、なんてこともアタマじゃなかった屋根をよぎったね。心配だったねえ、エッ、どんな対立があったのかって?じゃあ憶えてる範囲で話すよ。私も130才にもなったから物忘れがひどくてね。ま、聴いておくれ。

「ようやく開店のメドがついたから、お店の案内ハガキでも出さなくちゃね。」と健夫さんが言うと、

「なるべく宣伝したくないの!」と妙子さんが意を決した様子で言うのよ。すると、

「まさか?オレの教員時代の知り合いにも知らせたいなあ。」

「知らせなくていいの!」

「エーッ、それじゃあ・・・」

「私は、ひっそりと開店したいの。派手にやりたくないの、分かって!」

「う、うーん・・・」

それからね、こんなこともあったなあ。

「家はわかりにくいから、入り口に大きな看板ぐらい出そうよ」と健夫さんが言うと、

「出さない!」

「エーッ、看板も出さないの⁉お客さん迷っちゃうよ。」

「それでもいいの。まずは家を知ってる人が来ればいいし、一度来れば覚えるからダイジョウブよ‼」

「それじゃさあ、開店祝いは多くの人を呼んでやるんだろ?」

「やらない!」

「ジェジェジェ!やらないの!どうして?」

「私たちはお店に慣れてないシロウトなのよ。それなのに最初から多勢のお客さんを相手にしてごらん、メチャメチャよ。イヤな思いをしたお客様は、二度と来てくれないわ。だから始めは少ないお客様でいいの。お客様が来ない日があっていいの。貴方は派手好きだけど、私は派手はキライなの。」

健夫さんは、自分の考えがことごとく潰されてショックだったみたい。でも考え直したようだよ。

「この店は、女性の女性による女性のためのお店なんだ(アレッ、どっかで聞いたセリフだなあ)。だから妙子が考えた通りに事を進めればいい。オレは妙子を陰で支える黒子に徹すればいいのだ。」

と、言い聞かせていたもんだ。健夫さんは、数多くの知人がいるけど誰にも知らせなかったよ。辛かったと思うけど、エライ!自分の考えを貫いた店づくりをした妙子さんは、もっとエライ‼

開店から半年間くらいは毎日数人しか来なかった。それがクチコミで知られ始めてから徐々に増えていったね。これでよかったね、スムーズに運べたのだから。

でもね、道に迷うお客さんが続出したね。家の周囲を堂々巡りしてるので、近所の人が店まで案内してくれるのも度々だったなあ。それで看板を出したみたいだよ、それも小さい看板を・・・こだわりの人だねえ妙子さんは。

 

2013年12月16日月曜日

幸せ気分に・・・

「あなた!朝焼けがすっごくキレイよ‼」

の声に、カメラを持って外へ。幸せ気分に。

仕事を終えて外に出ると、朝と同じく東の空には、まん丸な月が。何だか幸せ気分に。

明日もいいことありそうな気分に・・・

 

2013年12月2日月曜日

130才物語 3 エーッ、ウチを店にするの⁉

ある日、 健夫さんが奥さんの妙子さんと珍しく真剣に話し合っているんだ。私も何事かと、聞き耳を立てたもんだ。

「なあ妙子。オレも後10年で定年になる。その後をどうしようか考えがあるんだけど。」

「考えって何よ?」

「この家をリフォームしてから、来る人皆んなが気に入ってくれてる。またここまで生きられたのも皆んなのおかげだなあと、つくづく思うよ。だから皆んなへの恩返しの意味でも、この家、この環境を活かしたいんだ。」

「それはいいけど、何やりたいの?」

「皆んながこの家に気楽に来られるには、レストランがいいかなって思ってるんだけど・・・」

「私だけじゃ判断つかないかわ、娘にも相談しないと。だから少し考えさせて・・・」

 

その後、娘さんを交えた3人で話し合いが進み、レストランをやることになったのよ。私は気絶するかと思ったね。私の家に見知らぬ人が毎日出入りするなんて、想像つかなくてね。

娘さんは接客担当。娘さんはホテル勤めだから接客は大丈夫。

妙子さんが調理担当。妙子さんはだいぶ悩んだ末、会社を辞めて調理を一から勉強すると決意したんだ。50才近くなって調理学校(女性の起業応援の県立学校)を受験、見事合格!卒業後、懐石料理店を皮切りに、色んな店で修業すること約8年、ようやく納得いく料理が決まったらしい。妙子さんは、こんなことを言ってたなあ。

「レストランをやるからには、他にはないオンリーワンの店にしたい。女性が一人でも、安心して入れる、そしてユックリと料理を楽しみ、会話を楽しめる店にしたい。」

健夫さんの仕事?忘れるところだった。健夫さんはね、庭仕事、畑仕事に皿洗い、つまり裏方ってこと。健夫さんお似合いの仕事ダネ!

店の名前の「山歩」はね、妙子さんが決めたの。二人が知り合ったのも山、結婚してからも登山を愉しんでいることから命名したらしいよ。でも嬉しいよ、店の名前が山歩ということは、この建物に山歩という名前がついたということだからね。私の130年間で、初めて名前をつけてもらえたんだから。

2007年4月1日、レストラン山歩、オープン‼

以来6年、3人ともよくやってるよ。私?毎日沢山の人が出入りして、幸せです。近頃、130才に見えないと言われるんだ。若返ったのかなあ⁉ウッヒッヒ・・・