2015年9月30日水曜日

でも、やらなくちゃ!(524話)

山歩前の畑。花が咲き・・・


       
       

蝶が舞い、バッタが飛び交う虫たちの天国。
だけど・・・


       

伸びた草も刈らなくちゃ・・・草刈りで犠牲になる虫たちのことを思いつつ、草刈り機を走らせるタケジーであった。

  

2015年9月28日月曜日

今夜の月は、デッカイぞ!(523話)

快晴!
無風!
絶好の月見夜!


       

赤らんだ柿の実の向こうに見えてます。
そこで1句・・・・・・1苦・・・・・・ク・ル・シー・・・・・・


2015年9月26日土曜日

子どもってイイもんだなあ・2 (522話)

子どもたちは、ガンバル。


       

先生や親も、ガンバル。


       

学年ごとの競技を見ていて気がついた。母親はもちろんのこと、父親の参加が多いことだ。いやほとんどの子どもの父親が参加してるようだ。
私は、我が子の運動会に参加したことがない。二人の子どもの行事で、唯一参加したのが卒業式だけだった。今更ながら、自分のダメさに気付いた。ゴメンな!娘に息子よ・・・その代わり孫の運動会には参加するよ・・・神奈川に住む息子の所へは、例え夜行日帰りしてでも通うよ⁉︎

子どもってイイもんだなあ・1(521話)

孫の運動会を見に行った。校庭を見て、目についたのがコレ・・・


       

赤シャツの表には・・・


       

と、書いてあった。
聞けば朝の6時半から、前日の雨に濡れた校庭の整備をしたとのこと。競技中も「おやじの会」の赤シャツ姿が見えると、私まで安心できる頼もしい存在だ。私のようなジージも「おやじの会」に入れてもらえるのかな?


       

天気は子どもたちに味方してくれた。子どもたちの歓声が、一日中響いていた。子どもたちの姿、声、どれもが未来を写していた。


       

こうやって運動会の校庭で家族揃っての昼食は、私の小学生以来のこと!娘が夜なべして作った手料理が、心にしみ込んだ・・・・・。

2015年9月22日火曜日

昔を見つけました

秋晴れの中、益子へ器を買いに向かいました。その途中・・・


       

車を止めて、ハイパチリ。何の花か分かりますか?


       

もう分かりますね。分からない?コレなら分かりますよね・・・


       

そう、蕎麦の花でした。
私が子どもの頃、我が家でも蕎麦を栽培していました。そば粉にすると、母は3時のオヤツに「そばがき」を作りました。私はこのそばがきが大嫌いでした。ただ不味いだけのものでした。40才過ぎまで、蕎麦は食べませんでした。これほどマズい蕎麦を食べる人の気持ちがわかりませんでした。私が好んで食べたのは「チカラうどん」でした。この世にこれほど旨いものはないと、固く信じていました。ところが・・・
チカラうどんを食べ過ぎて、チカラうどんが嫌いになってしまいました。仕方なしに蕎麦を食べてみました。なんと、ウマイじゃなないですか!それ以来蕎麦党になり今日に至っていますデス。こうやって蕎麦の花を見ると、私の食の歴史が蘇ってきます。

「オフクロよ、オレが子どもの頃に作ってた蕎麦は、なんでまずかったの?」
「そんなこと聞かれたって、知るか・・・とにかくあの頃は食うものがなかったんだよ!」
「そうだよなあ、オヤツといえば蕎麦がき、夏休みの思い出と言ったらカボチャだもんなあ。30日間、毎日カボチャを食わされたもんなあ。そうそうあの麩だって、豚肉だと思い込んでいたもんなあ。麩が小麦粉で出来てるなんて、大人になって知ったぐらいだから、オレの食生活は貧しかったなあ」

と、蕎麦の花を見てると眠っていた記憶が蘇ってきました。
空には澄みきった青空が広がっていました。(520話)

2015年9月19日土曜日

いい刺激に

今日、杉戸で開かれた防災の学習会に参加した。朝10時から午後5時までのハードな日程だった。午前中は座学。午後はワークショップ。


       

これはDIGと呼ばれるシミュレーション学習。大災害のイメージトレーニングに役立つものだ。私もこれを経験したので、実際の被災状況をイメージすることができた。


       

次は、三角巾の使い方実習と簡易担架の作り方体験だった。この担架作りを見て、私は52年前を思い出した。大学1年の夏、飯豊山で30メートル下の沢に転落し、仲間が立木で棒を作り、シャツの袖をその棒に通して即席の担架にして、身動きできない私を上の道まで引き上げてくれたのだった。急な斜面を60キロの私を、2時間かけて引き上げてくれた‼︎

今回は竹の棒だったが、金属製の物干し竿でも70キロの体重まで大丈夫だそうだ。

講師の話で、「まさか・・・の考えは通用しない  」だった。肝に命じた!
早速、我が自治会の自主防災に役立てようと思う。(519話)

2015年9月16日水曜日

サブジー さよなら!

9月10日午後10時30分、サブジーが73才の生涯を終えた!緊急入院して1か月後のできごとだった。サブジーは、せめて孫のタロちゃんが中学に入るまでは生き抜くと言ってたのに・・・


       

容態が急変し、危篤状態になった時、家族はサブジーの耳元で感謝の言葉を述べ、タロちゃんのお父さん(サブジーの長男)が、しっかりとサブジーの手を握る中、息を引き取った。安らかな死だった。幸せな死だった!死を忌み嫌う風潮の今日、サブジーは身辺整理を済ませ、死を受け入れていたのだ。

サブジーの遺体が自宅に安置されると、サブジーを慕う近所の子どもたちも焼香に来てくれた。それは登下校の見守りボランティアを2年半も続けていたので、子どもたちから慕われていたからである。
今日の葬儀では、小3のタロちゃんが「お別れの手紙」を読んだ。はじめは声にならなかった。私も声を殺して泣いた。参列者の多くも涙ぐんでいた。タロちゃんの許可を得て、手紙を紹介することにした。

おじいちゃんへ
ぼくが2才の冬、おじいちゃんと沢山の木をノコギリで切って、マキを作りました。お母さんがお店の仕事をしている間、おじいちゃんはぼくを自転車に乗せて牛を見に連れて行ってくれました。そして毎日おじいちゃんと昼寝をしました。

おじいちゃんは、幼稚園の送り迎えや、松伏のおじいちゃんの家に行ったり、カゼをひいたときはいっしょに病院へ行ってくれました。それと(登下校の見守り)ボランティアを毎日続けてくれてありがとう。ぼくはすごく感謝しています。

天国でもがんばってください。いままでありがとう‼︎

サブジーは、タロちゃんの手紙を携えて天国へと旅立って行った・・・(518話)

2015年9月10日木曜日

大丈夫だったよ!

今朝4時、激しい雨音で目が覚めた。私らの住まいの裏口を開けて外を見た。足元まで水が迫ってきていた。懐中電灯で土台を見ると、空気孔まで水が迫っている。ヤバイ!スゲ傘に雨合羽姿で、土砂に埋もれている排水溝の掃除をした。ようやく雨も小降りになり、水位も下がってひと安心。明るくなるのを待って、被害を受けている家はないかと見回った。道はまるで川になってる。住宅被害はなし。今度は、我が愛車の軽トラダンプを走らせて集落内を視察した。
江戸川は、ご覧の通り。


       

対岸の野田が水平線の向こうだ!江戸川ってデカイ!
ここでは、昨日からの雨量は200ミリを超えた。国道16号線は春日部の立体交差点で水没し、終日通行止め。せんげん台駅は、線路が水没し、夕方5時過ぎまで電車はストップ。ついには鬼怒川が決壊し、大洪水となっている。明日は我が身。
自然災害と共存する知恵を縄文人に習いたい。山歩のこの地も縄文時代から、絶えることなく人が住み続けてきた土地。だから安全な場所と言える。そういえば東日本大震災の大津波を調べると、縄文遺跡のほとんどが津波被害を受けてないそうだ。縄文人はたいしたもんだと思う。私も縄文人に習って、謙虚に生きよう。家も竪穴式住居にリフォームするか!山歩の店が、竪穴式住居になっても来店してくれるかなあ?
というわけで、私ら夫婦(シェフとシュフ〈主夫〉)は、台風被害にも遭わず元気に生きてますよ!
(517話)

2015年9月9日水曜日

大丈夫かなぁ?

只今、夕方5時。どしゃ降りの雨が・・・


       



       

激しい雨で、雨煙が立ち昇る!
昨日のうちに雨戸を閉めたので一安心なのだが・・・
近くの川は満水状態。氾濫しなければいいのだが・・・また田んぼの稲も、半分近くが刈り取られていない。水没しなければいいのだが・・・心配は尽きない。(517話)

2015年9月7日月曜日

少し寂しく・・・

あれほど咲き誇っていた花たちは・・・



       

華やかに夏を彩った百日紅も、花が終わり、枝も剪定された。


       

芙蓉もどこか恥ずかしげに咲いている。
長雨の合間を縫って、生垣に絡みついたつる草を刈り取ったり、庭の芝刈り、畑の草刈り、さらに畑を耕運した。ちょっと油断してたら雑草たちは伸び放題。普段の何倍もの労力がかかった。疲れたけど、やり甲斐があった。
これからしばらく花のない時期となり、木々や芝の葉も、少しづつ枯れ葉色になっていく。芝刈りは10月まで続く。芝刈りと薪割りが私の生き甲斐⁉︎かな・・・そうだ、芝刈り体験と薪割り体験を山歩のメニューに加えようかな?やりたい?(516話)