2014年12月31日水曜日
2014年12月30日火曜日
これで正月迎えられるぞ
今日は、50年続く今井家の餅つき。
娘家族、息子家族、妹家族、など総勢15〜6人が集まりました。8歳の孫を筆頭に搗き手が沢山いるので、最後まで私の出番はありませんでした。ザンネン⁉︎
のし餅がこれだけできました。これで安心して正月が迎えられます。
ところで、妹と二人で片付けをしている時のことでした。
「私にとって、健夫チャン(私のことをそう呼ぶのです)、私の父親像は健夫チャンなの。ヘンな話だけど、父親の死より、健夫チャンの死の方がショックが大きいと思うから、いつまでも元気でいてね‼︎」
「そう言ってくれると、嬉しいし、ありがとな!ダイジョウブ、当分死にそうにないから安心しな!」
12歳年下の妹が、私ことをそう思ってくれてるのかと思うと胸が熱くなりました。
思い出しました。18歳の夏、山で30メートル転落した時、崖を落下しながら頭をよぎったのは母とこの妹でした。
後に、このことを弟に話したら、
「兄貴は、なんでオレのことを思い出してくれなかったんだよ!」
と、叱られちゃったんだっけ・・・ヤブヘビだったなあ。
2014年12月29日月曜日
2014年12月27日土曜日
2014年12月26日金曜日
2014年12月25日木曜日
餅のご飯、チョーウメー‼︎
今日は、孫(8歳)の家に出張餅つきです。
臼、杵、お釜、薪など餅つき道具は、我が愛車オンボロ号(軽トラ、ダンプカー)一杯です。
午前6時半、いざ張り切って出発!
カマドの向こうには、朝日が・・・絶好の餅つき日和です。
孫の友だちも揃ったことだし、餅つき開始!
蒸しあがったもち米を臼に入れた途端、孫が、
「餅のご飯食べる〜!」
と、叫ぶ。すると孫の友だちも、ボクもー、オレもーと叫び出し、餅のご飯の立ち食いが始まりました。それもお代わりが続出です。
「餅のご飯、チョーウメー‼︎ 」
2014年12月23日火曜日
ありがとね!(ブログ400号‼︎)
今日が今年最後の営業日となりました。
お客様が帰られた後、西の空は、もう夕焼け。
後かたずけが終わって時計を見たら、すでに午後6時を過ぎていました。
築130年の古民家の山歩よ!今年もよく頑張ったなあ。
お客様からは、
「心が癒されました。」
「幸せなひと時を過ごさせてもらいました。」
などと、嬉しい言葉をたくさんいただきました。ありがたいことです。またこの地を選んでくれた御先祖に感謝です。
私から数えて15・6代前の御先祖が、関ヶ原の合戦前に関西方面からこの地に移住してきたらしいのです。この地は、泥土(比地)を築き(開墾地)あげた所という意味で、築比地(つきひじ・ついひじ・つへじ・・・開墾地の意味)と命名されたらしいのです。東京の築地と意味は同じです。
あれから40年!いや違った、あれから400年‼︎途切れずに私まで続いたものです。今の山歩があるのも、御先祖がこの地に移住してくれたおかげだし、さらに私の曽祖父の父・勘左衛門さんが、明治15年に80円で今の家を建ててくれたおかげです。ありがとうございます!
おっとっと、山歩を守ってくれてるのが他にもいるのを忘れるところでした。
2014年12月16日火曜日
2014年12月14日日曜日
2014年12月12日金曜日
恥ずかしいけど ・ 4 先生 また来るね
今日来た教え子たちは、地元に残った人たちである。彼らは結婚し、やがて子どもが、親の母校に入学し、親も再び学校の活動に参加したという。
「先生、オレたちはオヤジの会などにも参加したから、中学生を2度経験したことになるよ。充実してたなあ。」
などと言う。嬉しい限りだ。
2014年12月10日水曜日
恥ずかしいけど・3 バカだねオレは
oその事件とは・・・
あれは2学期頃だったか、その日、授業のない時間、職員室にいたら、ある教師が竹刀を振りかざしながらM君を追い回し始めた。
「コラーッ、何度言ってもわからない奴は、ぶっ叩くぞ!」
職員室内を『ゴメンナサイ、ゴメンナサイ』と言って、頭を抱えて逃げ回るM君を、竹刀を持って追いかける姿は異常であった。しかし若造の私は、年配の竹刀教師に何も言えなかった。ただながめているだけだった。惨めだった。自分が嫌になった・・・・・せめて来年は、この学年を担当しよう、そしてM君を救おうと、心の中で決意した。
翌年、校長先生に事情を話し、2年生となった彼らを担当することができた。学年主任もやらせてもらった。それをいいことに、去年までの学年方針を一切無視して、私の方針を押し付けようとした。学年の先生に拒否された。当然のことである。空気を読めない馬鹿な私は、めげることなく私の方針を話し続けた。3学期になってようやく私は受け入れられた。M君を担任したが、彼の問題行動は続いた。竹刀を振り回した教師の気持ちも理解できた。浅はかな自分がイヤになった。
3年になって、私はM君を再び担任した。前年までと違って、見違えるほど落ち着いた。人知れず苦悩を抱えたM君なら不登校のA君を理解するだろうと思って、迎えのメンバーになってもらったのである。(つづく)
恥ずかしいけど・2 A君を迎えに
私のクラスにA君がいた。欠席がちだった。男子数人に頼んだ。
「君たちに頼みたいことがあるんだけど聞いてくれる?」
「頼みたいことって何ですか?」
「実はA君のことなんだけど・・・」
と話し出すと、生徒たちは頼みごとを理解したようだ。
「知っての通りA君は学校を休んでいる。彼を登校させられるのは私じゃなく君たちだ。同じ生徒だから分かり合える。朝、迎えに行ってもらえないだろうか?遅刻していいから。」
生徒たちは、翌朝からA君を登校させた!私にはできない力だった。
3・4人の男子生徒に遅れること10メートルにA君はいた!青白い顔をしたA君が、学校に来てくれた!迎えに行ってくれた彼らに感謝!連日、遅刻しながらA君と登校する風景が日常になった。
今なら、保護者や教育委員会から私は怒られることだろう。
ところで迎えに行く男子の中にM君がいた。実はM君が、この学年を担当するキッカケとなったのである。彼が中1の時、私は中3を担任していた。ある時、職員室でM君をめぐる事件に遭遇した。(つづく)
恥ずかしいけど・1 京都をジャージで
12月6日、35年前の教え子14人が店に来てくれた!
この10畳の部屋で、クラス会が始まった。幹事のT君は仙台から夜行バスで駆けつけた。懐かしの卒業生名簿を持参した子がいた。この子たちの名簿を見ていると、名前の向こうに顔が見えてきた。35年振りに見る顔、顔である。脳のどこに記憶されていたのか、不思議な感じである。
「先生、修学旅行の出来事覚えてますか?2日目の京都市内見学は、スクールジャージだったんですよ。」
「へー、そうだったっけ?」
「そうなんですよ!クラスで数人、ボンタンズボン(ツッパリ用ズボン)を履いてきた奴がいて、先生が『そのまま認めるかそれともスクールジャージで見学するか、どっちにするか話し合って決めろ』って言うから、話し合ったんだよな。それでボンタンを履いてきた奴が、『ジャージになる』って言うから、僕たちもジャージで見学したんですよ。胸にはデッカイ名札が付いてるから恥ずかしいったらありゃしなかったなあ。」
と、S君が言う。
「そうか、そういうこともあったなあ・・・」
私の幼稚な指導に恥ずかしくなった。今の私なら、絶対しない指導だ。でも教え子たちは、楽しそうに話す。やめてくれ〜、恥ずかし〜!(つづく)
たかがアイパッド、されど・・・
息子の勧めでアイパッドを新調することにした。もちろん持ち運び自由のアイパッド。息子からメールで機種から何から全てを指示された。もちろんオプションなどはつけないハズだったのだが・・・
いざ、とあるショップへ出かけた。この店ではケータイも買ったことがる。
1時間かけての説明を受けて買ったのがこのアイパッドである。・・・オプションも断ったし、全て上手くいってよかった・・・と、幸せ気分で新旧アイパッドを息子宅に送った。データを新アイパッドに移してもらうためである。私は文系、息子は理系。人間万事分業に限る。その息子から電話があった。
「お父さん、オプション契約した?」
「いいや、お前のメールも見せ、私もオプションには入らない、とハッキリ言ったよ!」
「そうだよね。でも契約書類を読んだら、全部のオプションに入ってるよ!」
「ウッソー!そういえば最後に、たくさんの書類を渡され、全項目にハイのチェックしたけど、それが実はオプションだったんだね。騙されたんだ!オレオレ詐欺と同じじゃないか⁉︎」
と、一人で逆上していると、
「お父さん!後は僕がなんとかするから、心配しなくていいからね。」
「そうか、頼むよ。」
てなわけで、息子は全てのオプションを解約し、新しいアイパッドを従来通りに使えるようにしてくれた。いやあ、メカに詳しい息子がいてくれて助かった。そうでなければ、私はオプションには入ってないと思い込んで、高い使用料を払うハメになるところだった。
店のあくどいやり方には腹が立ったが、店はオプションにたくさん加入させれば儲かる仕組みなのだから、お客が理解するかしないかは問題外なのだろう。
そうだとすると、お客側も自衛するしかない。スマホにしろアイパッドにしろ、多種多様な使い道があるだけに、何を使うか限定して購入するしかない。私みたいなアナログで時代遅れの人間は、これに詳しい人と一緒に買うとよいと思う。
新アイパッドは、使い勝手がよいので、このブログも復活です!よろしく!それにしても、あの店が憎いよー。未練がましいかな?
2014年12月3日水曜日
美味い味噌ができるといいな
小学3年生・42名の前で・・・
「私を呼ぶときは、『タケじい!』と声かけてね。じゃあ練習するよ。タケじい!」
子どもたちは一斉に、
「タケじい‼︎」
「だれ?ハゲじい!って言ったのは?キミ?違う?いや確かにキミだったよ。僕のことハゲじいって言ったよね。」
味噌づくりの会場は、大笑いの渦。これで一気に緊張が解けて、和やかになった。
「じゃあこれから僕を呼ぶときは、タケじいでも、ハゲじいでも、デブじいでも、いいよ。」
デブじいに反応して、子どもたちは大笑い。先生も保護者も大笑い。スッカリ打ち解けた。
「さあ味噌づくりを始めるよ。味噌づくりの後は、ウソづくりをするよ!」
子どもたちは、一瞬の間をおいて笑いがはじけた。
厚手のポリ袋にゆで大豆を入れて、手でつぶす。手がカワイイ。
2014年12月2日火曜日
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