2016年1月30日土曜日
2016年1月28日木曜日
2016年1月26日火曜日
すっかりスモークされちゃいました (562話)
朝日が昇りました。
山歩にも陽がさし始めました。
しかし水道は・・・
ご覧の通りデス。今の気温、マイナス3度。ふと思い出しました、母との会話を。
「オフクロ!オレが生まれた日はどうだったの?」
「健夫が生まれた1月19日は、ことの外寒かったんだよ。夜中に産気づいて、夫が自転車で産婆さんを迎えに行ってくれたんだよ。」
当時の母屋は茅葺きの家で、暖房は火鉢が一つあるだけ。部屋は外気と同じ温度。その中で私は生まれました。死ななかったのが不思議なくらいでした。
真冬に生まれたせいか、寒いのが大好きです。一番好きなのは、北風に向かって自転車を走らせることです。手も顔も凍りつきそうなのがいいんです!『オレは今、生きてる‼︎』って実感できるんです。
2016年1月19日火曜日
ハッピーバースデイ♫ (561話)
今日は、お客様の人数も多いので、料理を出したり、食器を下げたりと娘の手伝いをしました。8名のお客様に料理を出した時のことでした。話し好きの私が、「実は、今日は私の誕生日なんです」と、つい口を滑らしてしまいました。
2016年1月18日月曜日
2016年1月15日金曜日
2人の母の介護を考える (558話)
I 昨日の母の引越しを機に、改めて考えさせられたことがある。
実は、私ら夫婦は2人の母を介護している。昨日のブログの母は、私の母で92才。全く立てない、歩けないので車椅子生活であることと認知症も進んできている。だけど明るく元気でいる。妻の母は96才。寝たきり生活である。もしも2人の母を自宅で介護、いや私の母の自宅介護だけでも夫婦二人がかりの介護となる。山歩の店は閉鎖せざるを得ないだろう。
私の母は特養施設に、そして妻の母はグループホームにお世話になっている。店を営業していられるのも、このような介護施設のおかげである。施設に深く感謝している。介護施設の充実を心から望んでいる。特に介護施設で働く人の待遇改善を強く望んでいる。
妻は、店の休みになると毎週のように2人の母を見舞ってくれている。昨日の母の引越しも、事前に母の私物を持ち帰り、新しい衣服を買い揃えたりして特養施設に入居する準備を整えてくれた。夫の母の世話をするのは当たり前と受け止めている。妻が準備してくれたから、昨日の引越しがスムーズにできた。妻に深く、深く感謝している。
私は、妻と施設には足を向けて寝られません。だから東西南北のどこにも足を向けられません。仕方ないので、立ったまま寝てるんです⁉︎ ハイ・・・
ここにコメントを書いてくださった方へ。私の操作ミスでコメントをカットしてしまいました。ゴメンなさい。あなたのお気持ちを受け止めて、生命が続く限り店を続けてまいります。ご来店をお待ちしてます!
2016年1月14日木曜日
母の引越し (557話)
l「なんで、ここ(老健施設)を出なきゃなんないの?今まで黙ってて、急にここを出るだなんてアンマリだよ!」
「・・・・・今まで黙ってたのは悪かったなあ。でもな法律で、これ以上はいられないんだよ。」
「ここで皆んなと仲良く居られたのに、それなのに・・・」
母は事情が飲み込めないまま、大粒の涙を流し続けていた。施設の人に見送られ、近くの特養施設に入居した。
特養施設に着いてからも、同じことを繰り返し、私をなじった。切なかった。
その後、母の私物を届けに行った妻が、その後の母の様子を話してくれた。
「お婆ちゃん、元気だったわよ。私にこう言うのよ。『私は何処だって、皆んなと明るく、仲良くできるんだから、心配しなくて大丈夫だよ!』って。だから私は、お婆ちゃんすごいねえ、よかったわあって言ったの。もう皆んなと楽しげに話してたわよ。心配ないわよ。」
「あんなに泣いていたのに・・・」
「もう長年ここにいるかのように振る舞っていたわよ」
「そうかあ、オフクロの適応力は、スゴイなあ!」
「そうよ、もう大丈夫よ。」
一番心配だったことが、母の適応力で簡単に乗り越えられた。
安心すると同時に、どっと疲れが出た1日だった。
2016年1月13日水曜日
これも時代の波ですねえ (556話)
山歩で、最後まで和風スタイル(座卓)だった玄関入って左側の部屋(10畳)も、ついに・・・
ついに今日、テーブル・イスの洋式に模様替えしました。
今や若い人ほど座布団に座卓方式がダメになりました。さらに脚も長くなったので、座卓に座るにも脚の置き場に困るようになりました。
洋式にして、和の雰囲気が壊れないかと心配でしたが、意外といい感じになったと思いませんか?
スタッフ一同(といっても親子3人だけですが)、皆様のご利用を「心から」、お待ちしております。
これからは絵文字の時代のようです。世界的に流行してるそうですがホントかね⁉︎絵文字を入れたんだけど、本文には入りませんでした。やはり私には無理なんでしょうかね?それともこのアイパッド、私をバカにしてるのかも?心からの心を絵文字にしたかったのに、グヤジー!
2016年1月5日火曜日
麹 できたよ (555話)
今朝、麹発酵器のファンが順調に動いていた。胸が躍った。というのも、昨日の午後1時にヒーターをオフにしたので、それからは麹菌の自家発酵力頼りだったからだ。麹の発酵熱を40度にしておくためにファンは回ってる。
麹米を発酵器から取り出した。
2016年1月4日月曜日
せっかちなんだが なあ (554話)
年末に体調を崩し、回復したのは元日だった。そして正月2日、麹造りと味噌づくり用にカマド小屋と味噌小屋の片付けを始めた。朝から夜まで一人で2つの小屋を、ゴソゴソと動き回った。ゴキブリが感動の目で見ていたっけ⁉︎そういえば私が子どもの頃は、いろんな小屋があったなあ。井戸小屋(今もある)、漬け物小屋、そしてお仕置き小屋?まであったなあ。
そして昨日(3日)は、早朝から・・・
2016年1月1日金曜日
ウチの正月は、ここから (553話)
いつ頃、何のために始まったのか定かではないのですが・・・
正月の朝、食卓には必ずオニギリがありました。それもこれより倍くらいの大きさなんです!子供の頃はこれが嫌だったんですが、無理でも食べさせられました。
「どうしてウチだけオニギリなんだ?」
「どうもこうもないよ。ウチのしきたりなんだから、食べるんだよ!」
と、母に説き伏せられて、仕方なく食べました。だってオニギリで満腹しちゃうからです。
私は考えました。
「きっとウチの先祖は貧乏で、オカズをうんと食べられないようにとオニギリを食べさせたんだ」と。
しかし今はこう考えてます。
昔は米は貴重品でした。何しろ日本人が1年中米を食べられるようになったのは昭和になってからだそうです。
今から400年前、関ヶ原の合戦前、豊臣家を見限った今井家の先祖は、現在地に移住してきました。開拓民生活は米を食うどころの話ではなかったはずです。ようやく米を食べられるようになった先祖は、正月の朝、オニギリを食べて米に感謝し、今年も米が食べられるようにとの願いを込めたのではないでしょうか。
醤油をかけただけのオニギリ、「おいしくいただきました」
さあ、おせち料理いただくぞ〜‼︎
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