2015年8月25日火曜日
お返しのキャッチボール
これ自家製の味噌です。右が去年の1月に仕込んだ味噌で、現在食用中です。使っている大豆は、北海道の大豆です。左が今年の1月に仕込んだ味噌で、出来たばかりの若い味噌です。使っている大豆は、宮城県の大豆です。
2015年8月24日月曜日
2015年8月21日金曜日
田舎暮らしは持ちつ持たれつ
午後2時過ぎ、近所の小川さんから電話がかかってきた。
「小麦まんじゅう作ったから、今から届けるよ!」
「小川さんの小麦まんじゅうは、美味いからなあ。すぐ取りに伺うよ。」
「そうかい、じゃ家で待ってるよ。」
2015年8月20日木曜日
2015年8月18日火曜日
2015年8月12日水曜日
父が植えた柿の木
夕方4時ともなると、だいぶ凌ぎやすくなる。
よし、畑の草刈りだ。例によって芝刈り機で草を刈る。1時間余りで刈り終わった。
草刈りしながら、
「ああ、この柿の木は父が植えたんだっけなあ。いわば父の形見だなあ。」
と、しきりに父のことを考えた。
父は寡黙の人だった。3年間も関東軍の兵士として軍務についていたのに、軍のこと、戦争のことは一切話さなかった。父の友人たちが大声で軍歌を歌っていても、父は軍歌は歌わなかった。無事帰国して、父は結婚し、昭和20年1月に私が生まれた。その年の6月、父は再び召集され新潟の新津で終戦を迎えた。8月15日、戦争が終わったと知った父は、鉄砲を川に投げ捨て、勝手に帰宅してしまった。後に呼び出されて、こっぴどく叱られたらしい。軍隊と戦争が大キライだったのだろう。
戦後サラリーマン生活に戻った父のことを、母はあまり良く言わなかった。だから子どもの私は、母のイメージの父を作ってしまった。今になって、
「私の父親像は、母のイメージで作られたものだったんだ。もっと違う父親があるはずだ。」と考えるようになった。
・・・オヤジ、オレ、この歳になってようやくオヤジの良さが分かってきたよ!ゴメンな、ずーっと誤解していて・・・父の位牌に詫びている・・・遅いけど・・・(510話)
2015年8月1日土曜日
なんか得した気分だなあ
今日は今年一番の暑さで、多分37度くらいか。3年前の悪夢が甦える。それは夏の暑さで、味噌が腐ってしまったことだ。
それで今年は、味噌の保管小屋入り口によしずを張った。
日中は、このヨシズに井戸水をかけるという打ち水作戦を実行中である。
山歩閉店後のことだった。
娘が、
「お父さん、この暑さじゃ味噌が腐るかもしれないから、私の家の床下に引っ越そうよ。」
と、話しかけてきた。確かに2年前、娘の家の床下(真夏でも床下は27度)に置いたおかげで、美味しい味噌ができたのだが、今年は前述のような暑さ対策をしているので大丈夫と考えていた。
「お父さん、せっかくの味噌なんだから、万全の策をとろうよ。」
娘に説得されて、15キロ詰め樽、8樽を持って行ってもらった。
娘から電話があった。
「お父さん、味噌樽を収納しようと床下に入ったら、お父さんの味噌が2樽出てきたわよ!」
「ホントかよ?」
「ホントよ!良かったわね。明日、持って行くからね。」
「わかった!」
電話を切った後、私はなんだか得した気分になり、笑いがこみ上げてきた・・・・・アレッ?これって忘れてた分が見つかっただけなんだよね。オレもオッチョコチョイだよなあ。
ま、いいか。明日が楽しみ!(506話)
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