たくさんのカブトムシに樹液をあげてきた樫の木に、もう虫は来ません。
たくさんの子どもたちで賑わったハンモックに、子どもたちはきません。
虫たち、そして子どもたちの夏は終わりました。
2年前の台風で倒れそうになった金柑が、今年も実をつけてくれました。樹齢は100年を超えているでしょう。この冬には、金柑酒になります。
畑に植えた渋柿(ハチヤ柿)が、初めて実を二つつけました。やはり8年かかりました。冬には、店の軒に吊るされ、干し柿になります。
まだまだ夏ですが、着実に秋は近づいています。
たくさんのカブトムシに樹液をあげてきた樫の木に、もう虫は来ません。
たくさんの子どもたちで賑わったハンモックに、子どもたちはきません。
虫たち、そして子どもたちの夏は終わりました。
2年前の台風で倒れそうになった金柑が、今年も実をつけてくれました。樹齢は100年を超えているでしょう。この冬には、金柑酒になります。
畑に植えた渋柿(ハチヤ柿)が、初めて実を二つつけました。やはり8年かかりました。冬には、店の軒に吊るされ、干し柿になります。
まだまだ夏ですが、着実に秋は近づいています。
生徒たちは、思春期という不安な時期、この交流ノートに悩みを綴り、交流を深め、共感し合う関係を築いてきました。いま、12年ぶりに読み返しましたが、いま担任している感覚になってます。彼らの息遣い、ぬくもり、葛藤がひしひしと伝わってきます。
この学年の生徒と3年間過ごして思うことは、
1、大人は子どもたちのちからを信じ、信頼する。子どもは信頼された分だけ力を発揮する。
2、子どもたちに話し合いの場を提供し、話し合いを重ねることで、他人を知り、共感関係が生まれ、問題解決のちからをつけていく。
3、先生は、できるだけ子どものそばに寄り添っている。
今のイジメ事件などの教育問題を解決するには、先生を良い先生、ダメな先生とレッテルを貼って給料に差をつけたり、やたらと書類ばかり提出させたりするのではなく、余計な雑務を排除して、ゆったりと子どものそばにいられるようにすることです。先生がいつも子どものそばにいるだけで、子どもは安心して生活できるのです。そうすればイジメ・自殺などという悲劇は起こらないでしょう。
教育委員会、文科省など教育に携わる人たちに言いたい!
もっと先生を信頼して下さい!
先生を子どもの元に返してください!
以下はひとりごとです。
2班の交流ノートの最後にリュウ君が、
「いつまでも先生のままの先生でいてください」
と、書いてありました。思わず目頭が熱くなりました。というのも・・・
私は、50才頃から指導の限界を感じるようになりました。今まで「オレについて来い」式でやってきたことに疑問が生じたのです。いつしか、いつ辞めようかとの考えが脳裏をめぐるようになりました。そんな悩みの中、この子どもたちを受け持つことになりました。そこで決心しました。もう出しゃばるのはやめる。子どもたちの後ろをついていくことにする。そして頼られた時だけアドバイスする。
私は、子どもに頼られる存在ではなく、ひたすら子どもに頼るだけの存在になりました。すると私と子どもの間にあった見えない壁が消えたのです。それがリュウ君の「先生のままの先生でいてください」であり、クミさんの「先生、定年まで先生続けなよ!」になりました。
この子たちは、私を先生にしてくれた恩人であり、最後まで先生を続けさせてくれた恩人でもあります。
今になって、つくづく思います、先生を先生にするのは子どもたちだ!断じて文科省や教育委員会ではない。そう、先生の先生は子どもだ。先生の先生である子どもから先生を奪うな‼
この子たちが巣立って5年、次に移った学校で、子どもたちが、定年を迎えた私1人のための卒業式を開いてくれました。これは、その時に子どもたちから授与された卒業証書です。
ああ、私は先生になるまでに30年かかり、ようやく先生として子どもたちに認められて5年、晴れて中学校を卒業できました。
私の金メダルです。(おわり)
中学3年の2学期になると受験モードになります。悩みも多くなります。班に1冊づつ渡してある「交流ノート」は、生徒と私、生徒同士の交換日記です。
カズヒロ君は、
「頭の中では、私立高はどこ、県立はどこ、などと思っていても、学力は見合っているのか?自分の好きなことができるのか?お金の問題は?といろいろ頭に浮かび、不安でいっぱいです。」
するとセイジ君が、
「カズヒロ君のを読んで、ボクと同じだと思いました。ボクは、学力が低いために入れる高校が限られています。また自分のやりたいことが見つかってません。少し焦っています。あと、励まし合える友情やまとまりのあるクラスのことですが、一人一人が、自分のいいところを見つめ直し、他人のいいところも尊重し合い、他人のことを気遣うことが、まず大切なんだと思います。」
さらにミカさんは、
「みんなでこうやって、1冊のノートに自分の思ったことを書いてると、なんか落ち着くっていうか、なんかいいんだよね。カズやセイジのを読んで、やっぱり思ってることが一緒だから安心できるんだよね。」
と、交流ノートでの討論が続いていきます。
ある日、カヨさんが恋の悩みを書いてきました。いまつき合ってる人と同じ高校へ行きたいけど、親には反対されてる。どうしたらいいのだろうかというのです。次に書くはずのユースケからノートが出されません。掃除を一緒にしながら聞きました。
「1週間経ってもノートが提出されないけど、どうしたの?」
「ハイ、済みません。ボクには難しすぎて書けないんです。」
「そうか、いいんだよ書けなくて。『ボクには書けないので、次の人にお願いします』と書いて回しなよ。」
この悩みへの仲間の回答は、どうだったと思いますか?これはヒミツにしときましょ。
11月。ダイスケ君が、筆箱をイタズラされたり、オマエはうざいと言われて、とてもつらい毎日だ
と交流ノートに書いてきました。次々とダイスケ君を守る意見が書かれました。ついにいたずらしたタカシ君が、
「ボクはダイスケ君の気持ちを考えずに、今までとてもヒドイことをしていました。ボクがふざけてやったことで、ダイスケ君がこんなに傷ついているとは思ってもいませんでした。今までのことは反省してます。もうしません。そして仲良くしていきます。」
と書いてきて、仲直りしました。担任の私は、ノータッチでした。生徒の力で解決しました。
卒業式の日、5班の交流ノートの最後は、こう締めくくられていました。
「最初、ハッキリ言って、このクラスじゃヤダなって思ってた。
でも、今はこのクラスじゃナイとヤダ‼ from 智恵子」
子どもたちは、初めはクラスを越えて学年で行動しました。その頂点が修学旅行でした。2学期、受験体制に入ると、子どもたちはクラスに帰っていきました。クラスが居場所となったのです。悩みを共有し、仲間の声援を受けて、それぞれに受験を突破していきました。(つづく)
2年生でさらに経験を積んで、いよいよ3年生になりました。1学期に京都修学旅行があります。
5月から修学旅行の話し合いが始まりました。生徒の実行委員会から、話し合ってほしいテーマが次々と出されます。
持ち物では、ほとんど決まりかけていた時、ユータ君が手を上げました。 「あの~、枕を持って行きたいんですが・・・」
「どうしてですか?旅館の枕じゃダメなんですか?」
と実行委員が問いかけました。
「ハイ、ダメです。自分の枕じゃないと眠れないんです。」
てなわけで、めでたく枕を持って行ってもよいことになりました。
部屋割りでは、ヒョウキンなマサシ君が、
「部屋割りは、ぜひ男女混合がいいです。去年の林間学校は、男女別なのでつまらなかったからです。」
大爆笑です。討論抜きですぐ採決。賛成はマサシ君だけなので、圧倒的少数で否決されました。それでも本音(?)を言えたマサシ君は、ニコニコです。
そして見学班だけでなく、部屋割りもクラス関係なくつくることになりました。この方が合理的なのです。
面白かったのは、部屋割りを決める時でした。150人が一斉に部屋番号を書いたフダの下に集まり話し合っています。部屋決めが一段落したので、いたずらっ子シュート君たちが集まった部屋番号のところへ近づいた私が、
「そうか!夜はこの部屋だけ見張ればいいんだ。よかったラクできるなあ。」
「ボクたちの部屋は大丈夫!それより、あいつらの部屋を見張った方がいいよ、先生!」
と言って、これまたいたずらっ子のコータ君グループを指すのです。コータ君たちに近づいて、そのことを伝えると、
「ヒドイよ、先生。いくらシュートが言ったからって、疑わないでよ、僕らマジメに生活するんだから、先生たち見回りに来なくていいからね。」
こうして修学旅行の話し合いだけで6時間かかりました。子どもたちは、それを楽しんでいました。
さて、修学旅行が始まりました。夜の集会の時です。トシオ君が、
「あの~、班行動中の名札なんですけど・・・僕たち3人は名札を付けませんでした。決まりを破ってすいません。それで、明日からは名札無しでもいいという修正案を提案します。」
「私たちが、道を歩いていると、ガラの悪いオニイサンが寄ってきて、アンタ!学校どこ?って、名札を覗くんです。怖かったです。だから名札無しに賛成です。」
「中学生なんだから、名札を付けるのは常識です。」
などと、なんと名札をつけるかどうかで30分も討論してるのです!ここまで話し合うのが好きになるとは、想定外でした。トドメの発言は、ケンタ君でした。
「よおみんな!いつまで話し合う気?行く前に6時間もかけて話し合ったんだから、オレたちみんなで決めた通りにしようぜ!もう、終わりにしなよ、話し合い。」
これで一見落着。ちなみに私の本音は、名札無しでした。気が小さいもので・・・言えませんでした。
翌日の行動は、全員名札着用でした、自分たちの、学校の名誉と誇りの象徴ですから。
生徒の実行委員会(8名)が、毎晩、夕食後ロビーで開かれました。周りを10数人の生徒が取り囲んで、会議の様子を見学しています。その一人が、
「実行委員ってカッコイイなあ。オレもああなりたいなあ。」
と呟いていたのが印象的でした。私たち教師も、ロビーの隅で羨ましげに見学してました。だってやることがないんです!
この学年を担当するのが初めての先生が、生徒の部屋を見に行って、かえってきました。
「私が、クラスの部屋を見ようと戸を開けたら、いろんなクラスの子がいるのでビックリしました。そうでしたよね、部屋もクラス割じゃなかったんですよね。こういうのって、初めてなので面食らいます。子どもたち、大丈夫かしらね。」
「大丈夫でしょう。子どもたちを信頼しましょう‼」(つづく)
最近のいじめ事件に心を痛めてる一人です。たしか15年前頃も、いじめ事件が頻発しました。その当時受け持った学年のことが思い出されます。今のいじめ問題解決のヒントになればと思い、書くことにしました。
この絵は、この時の学年のサチコさんが卒業式当日に描き残してくれた10年後の私です。参ったなあ、ソックリです!
またアヤさんは、こんな手紙を書いてくれました。
「先生にはすごく大きなことを学ばせてもらいましたよ。しっかりと自分の意見を持つこと、権利には責任がついてくること、他にも社会に出て役に立つことが、いっぱいでした。すごく未熟だった私が、ここまで考えられるようになったのも先生のおかげでした。
昨日、先生が『アヤさんから、いつも元気をもらってたよ!』の言葉はうれしかったです。いつも迷惑ばかりかけてたお礼に、これからもずっと先生に元気をあげ続けます。(以下略)」
この子たち150人(4クラス)が、入学してきました。当時、この学校では、『全校1学年、学年1クラス』の方針を掲げていました。私たち1学年も、この方針で動き出しました。その中心は、学年集会でした。帰りの会の15分間というわずかな時間でも、学年集会を開きました。中身は、その時々のテーマでの話し合いです。教師の説教集会にはしませんでした。回を重ねるごとに、子どもたちは打ち解け、気楽に発言できるようになってきました。
これなら深刻なテーマでも話し合いができると判断した私たち教師は、いじめ問題の討論集会を開きました。
・・・いじめられてるなんて、言えないよ‼・・・
報道されたいじめ事件を資料にして活発な話し合いが始まりました。
そして、「いじめとは、いじめられてる人が、いじめと認めていれば、それはいじめである」などの確認がされました。
続いて、いじめられたらどうすればよいかの話し合いになりました。次々と手が上がり、
「いじめられてる人は、誰かに相談すればいい」という意見で終わりそうになりました。
私の横に座っていた、小柄なミノル君が、険しい顔つきでブツブツ言ってるのに気がつきました。つぶやきは「言えないよ、言えっこないよ」でした。私は、
「ミノル君、それ言いなよ。そうでないと相談すればいい でこの集会終わっちゃうよ。」
するとミノル君は、頭を下げたまま、ためらいがちに手をあげました。立ち上がった彼にみんなの視線が集まりました。シーンとして、彼が何を言うのか待ちました。
「みんなは、いじめられたら、友だちとか先生や親に相談すればいいなんて簡単に言ってるけど、相談できないんだよ!」
普段はおちゃらけのミノル君の迫力ある発言に、みんなは度肝を抜かれました。しばらくの間を置いてから、
「ミノル君に聞きたいんですけど、どうして誰にも相談できないんですか?教えてください。」
「・・・・・・」
ミノル君が、ゆっくりと立ち上がりました。
「みんなは簡単に、誰かに相談すればいいっていうけど、いじめられてる人の気持ち、考えたことあるんですか?人間は誰だってプライドを持ってる。だから自分はいじめられる、惨めな人間だなんて認めたくないんだよ。プライドが許さないよ。だからそう簡単にいじめられてるなんて、言えないんだよ‼」
ミノル君の迫力ある発言に、拍手が起こりました。別の子が、
「じゃあ周りの人はどうしたらいいんですか?」
「周りの人には、気づいてもらいたいんです。気づいて、どうしたの?って声掛けてくれればいい。そして周りの人に、気づいた人が相談してほしい。」
2時間を越える話し合いは、充実感をもって終わりました。
帰り際、隣りを歩く子に聞きました。
「集会、イヤじゃないかい?」
「ウウン、オレ集会好き!だっていろんな人の考えが知れるから。あの人の考えは、オレと同じとか、へえーあいつはあんな考えなんだとか分かって、みんなの中にいて安心できるから。」
間もなく1年が終わろうとする頃、子どもたちへの信頼を増した私たち教師は、思い切った提案を子どもたちにしました。
学年集会で、教師を代表した私が、
「この1年間、どんなことでも学年みんなで話し合ってきた。私たち先生の君たちへの信頼は厚い。もっと何かができると信じてます。
そこで、今まで君たちも、もちろん先生たちもやったことのない提案です。これから先生たちは来年のクラス編成をします。そこでみんなが賛成してくれたら、君たちのクラス案を作ってくれませんか?もちろん先生たちは、君たちの案も参考にします。」
提案は承認され、各クラス男女各一名のクラス編成委員が選ばれ、生徒の名前だけ書かれたカードで、クラス案が作られました。立ち会った私が驚くほど、150人全員の特徴を踏まえてのクラスが作られました。ある意味では、教師以上でした。
2年生の始業式の日。
正門前に新しいクラスを貼り出しました。いつもなら誰ちゃんと一緒と言っては笑い、誰ちゃんとは別クラスと言っては泣く派手な姿は見られませんでした。この学年の仲間とならどのクラスでも安心していられるとの確信が子どもたちの心に芽生えたようです。(つづく)
いくらリフォームしたとはいえ、築130年の家です。夏暑く、冬寒いという断熱効果ゼロの家です。そこで、この盆休みを利用して改修しました。
店で一番暑いのがトイレでした。寒いのもトイレです。そこで、エアコンを設置しました。効果バツグン!店の中で一番冷えてます。
客室11枚のガラスには断熱フィルムを貼りました。外の熱を6割もカットするそうです。これでエアコンの冷房効果も高まります。
ついでに痛んだ外壁も化粧し直しました。木部を塗り直したので、スッキリしました。
サルスベリが山歩に彩りを与えています。芙蓉も間もなく咲くでしょう。お待ちしてます!
地元の子ども会が、初めての藍染めに挑戦!場所は山歩の駐車場。
今回の最年少、なっちゃん(2才)も藍染め中。この真剣な顔!
できた~ッ!
あとはご覧の通り。
ハンモック脇の草広場も、ご覧の通り。
子ども達の歓声は、永く耳に残ってます。
山歩前の畑に、念願のハンモックを吊るしました。近所の子どもたち10人が、手伝ってくれました。
できたてのハンモックに乗ってご機嫌です。
こちらでは、切り株を掘り出してます。5・6年生ともなると、力もついて上手に鍬を振るいます。
1時間半の作業で安全で快適な遊び場ができました。明日から遊びに来てくれるとうれしいな。
ハンモック広場を夕風が通り抜けていきます。ヒグラシ蝉の鳴き声を背に受けながら、夕焼けを見ています。夕焼け雲の上は、もう秋の雲です。あした天気になあれ!
仲良く?蜜(樹液))を吸ってる蝶とカブトムシ。
「うまいな〜」とカブトムシが呟けば、
「ホント、美味しいわね〜」と蝶がささやく。
「これからもずっと二人きりでいような!」
「ええ、いましょうね。」
「私のこと、忘れたの。蝶なんかと仲良くして、憎たらしいわ。フン、アンタなんか、もう知らないから!」
こんな会話が聞こえたような昼下がりでした。
約一ヶ月漬けた南高梅を、ザルに取り出してます。赤シソ色に染まり、いい香りを漂わせています。
樽から出したばかりの梅干しです。
3日間、天日干しした梅干しです。いい仕上がりです。おひとついかが?
これぞ100パーセント梅エキスの梅酢です。10kgの梅から、これだけの梅酢が取れました。一杯いかが?
これじゃあ誰だって、如何にも私1人でやったと思いますよね。違うんです。梅の漬け込みは、妹がやってくれました。天日干しは、弟がやってくれました。私?私は梅が万遍なく紫蘇色に染まるように、2度も樽を揺すりました。タイヘンでした、梅酢が外にこぼれないようにするのが。要した時間ですか?そうですね、全部で10分ぐらいでしょうかね。これもアニキの特権?
持つべきは、弟妹ですなあ。いくつになっても弟妹にアタマの上がらないアニキです。
弟妹よ!来年も梅干し作ろうな‼
幼稚園児から中学生まで16人の子どもたちが、神社に集まりました。宿題をやるために。
これ幼稚園の夏休みの宿題です。
小学生は、算数や漢字ドリルが中心です。中学1年のタケちゃんは、四文字熟語の勉強です。何と臥薪嘗胆などの難しいのを、読めて書けるようにと練習してるのです!臥薪嘗胆って漢字、60余年生きてきて、未だに書けないのに、13才の子が書けるんですよ!隣りのアイちゃんは、6年生。円の面積の問題です。えーと円の面積は、どう計算するんだっけ?アイちゃんが、スラスラと教えてくれました。教えるつもりの私が教えられました。今の子は、スゴイなあ。1時間が、あっという間でした。
さあ勉強のあとは、オヤツづくりです。黄な粉飴です。上手にできました。美味かった!
今日の勉強会に私の仲間が5人も駆けつけてくれました。ただ、ただ、感謝‼
そして夏の一日が終わりました。こんなステキな夕焼けを残して・・・
これぞ 高原の夏!日光・小田代原です。
木道の柵に、一疋のトンボが羽を休めていました。尾を優しく撫でると、垂直に立てました。
手を離してもトンボは、尾を垂直に立てたままです。このポーズが、よほど気に入ったとみえて、ズーッとこのままでした。逆立ちトンボです。
芸するトンボがいるなんて、初耳。トンボの調教師になれるかも!