2012年10月22日月曜日

49年前のあの日に会いに・・・1

10月17日、 磐越道を郡山から新潟へ車は快調に進む。会津盆地に入ったとたん、右手前方に飯豊連峰の雄姿が目に飛び込んできた。飯豊山へのアプローチ、実川林道を進む。しかし林道の途中で通行止め、車を置いて歩く。遥か下に実川が見える。

「なあ吉田。現場の高さはこのくらい?」

「いや、もっと高かったよ。」

「じゃあ、斜面の角度は?」

「こんなもんじゃないよ。もっと急だったよ。」

「なによ、垂直に近かったの?」

「そう。」

突然、恐怖感に襲われた。背筋に電気が走った。足に震えが起こった。近くの吊り橋も渡れなくなった。49年前には起こらなかった恐怖に、いま襲われるとは!

下の写真は震えながら撮った実川上流である。ここよりずっと上流で事件は起こった。

 

1963年(昭和38年)7月17日早朝、前夜の夜行列車を乗り継ぎ、磐越西線日出谷駅下車。雨の中を9人は飯豊山を目指し、無言で歩く。30kgのリュックが肩に食い込み、足取りを重くする。

小一時間も歩いた時だった。

『アッ、誰かが落ちてる。誰だ?エッ、オレだ、オレが落ちてんだ!

ここで死ぬなんて、悔しい!18才。人生、始まってない。死んでたまるか!生きるぞ!恐怖に負けないために、目をつぶれ!何か掴めるものはないか!』

雨で濡れた岩壁を滑り落ちていく。ケガする恐怖も死ぬ恐怖も感じなかった。母と妹(小学1年)のことが脳裏に浮かんだ。(あとで弟に怒られた、何で俺のことも浮かばなかったのか と。しょうがねえよ、浮かばなかったんだから。)

ふと気がつくと、水の中にいた。崩れた土砂が沢の半分を塞いでいた。

『あそこに這い上がろう。』

幸い、川底に足が届いた。腰が水面に出た。立てない。痛い!足が動かせないので、腕だけで岩に這い上がった。全身が痛み出した。うつ伏せのまま、考えた。

『生きてる!オレがここにいることを知らせなくちゃ。』

痛みをこらえながら指笛を吹いた。沢の音に消された。ひたすら助けが来るのを待つことにした。

顔がヌルヌルする。顔をこすった手が、血で真っ赤だった。

『ヤバイッ、怪我してる。オデコだ。血止めだ。』

腰のタオルで鉢巻にして、血止めした。やがて血も止まったようだ。

『早く助けてくれえ。助けが来なかったら・・・。イヤ、絶対来てくれる!』

時はいたずらに過ぎていった・・・(つづく)

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