2012年10月29日月曜日

山歩の畑、元気です。

 

ネギ、食べごろです。いや、食べてます!

大根、こんなに大きくなりました。

 

 

 

新しい生命が育ってます。何の野菜か私もよくわかりません⁉

剪定したナスです。今からでも実がつくのでしょうか?わかりません⁉

無責任!なんて言わないで下さい。これらの野菜を育てているのは、私じゃないんです。Fさんなんですから。Fさん、タネ蒔く人、育てる人。私、野菜眺める人、野菜採る人。いいカンケイですよね?

毎朝、ネギを取りに畑に行きます。帰る時は、元気になってます。特に今朝は快晴、太陽と野菜に元気を貰いました。

シルバーカーを押して畑へ行くのを日課にしていた母が、

「畑へ行くとな、辛いことも嫌なことも全部忘れるんだよ。そしてあそこにはあれを植えて、こっちにはこれを植えようと、頭が働くのさ。元気が出るよ!」

と言ってたことを思い出しました。 そんな母も今は、老健の施設でリハビリ中です。

畑に行くと鍬を握る母の姿が浮かんできます。絣のモンペに地下足袋姿の母です。

2012年10月28日日曜日

サツマイモ栽培もマスクメロン流?

 

今年も芋掘りできました。

今年も豊作です。

焼きイモも作りました。

ビックリしたのは・・・下の写真のサツマイモです。

サツマイモ農家の木村さんからいただいたサツマイモです。品種は紅東(べにあずま)です。

ところが、このサツマイモただ者じゃないんです。値段は通常の倍以上もするそうです。

なぜか?聞いてナットク。

一本の苗で一個しか作らないのだそうです。そう、マスクメロン流栽培なんです。

まだ食べてないのですが、抜群の味だそうです。調理法を聞いたら、

「やはり焼きイモで食べるのが、一番!」と、木村さん。そうか、もっと美味しい調理法があるかと思ったんだが・・・・焼きイモにすっか!でもなあ、なんかもったいないなあ。

 

 

 

2012年10月27日土曜日

49年前のあの日に会いに・・・3

あの日の転落を契機にして18歳の私は変わった。自分を生きようと決めた。というのは・・・

記念の雪椿

それまでの私は、他人の顔色を伺い、ビクビクしながら生きていた。それは多分、生い立ちにあるようだ。というのも、私の家は祖父母の夫婦仲が悪くて喧嘩が絶えなかった。一時期は13人で暮らしてた。物心ついた時には、家族の顔色を伺っていた。小学生になってからは、学校から帰宅すると門前で耳を澄ました、家の中からケンカの声がしないか確かめるために。ケンカの声がすると、カバンを持ったまま遊びに行った。そばを流れる江戸川で暗くなるまで遊んでいた。切なかった。

泣きたくても母は、「ガマンしろ!」と言って泣かしてくれなかった。しかたなく母の着物の端を噛んで声を殺して泣いた。嫁としてまだ20代だった母は、私以上に切なかったのだと思う。

他人の顔色を伺うビクビク生活は転落の日まで続いた。

退院してから、ふと考えた。

一度死んだ身。これからは新しい生命が始まるっていうのに、今までの自分でいいのか?新しい自分になれ!という声が聞こえた。

再びワンゲルに復帰した。山に入るたびに自分が開放される手応えを感じた。父も母も「山登りはやめなさい」と、一度も言わなかった。ただ母は私が登山してる時は、仏壇に手を合わせていたという。

こうして、これからはビクビクしないで自分の心が納得する道を進むと決心できた。山も私の生命を助けてくれた。

多くの方々の力と山という大自然の力とでここまで生きさせてもらいました。感謝‼

アッ、そうそう転落の後遺症がありました!高所恐怖症になってしまったのです。登山してるとおっかなびっくりです。がれ場があると背中を電気が走ります。それでも山に行くんですから、ほとんどビョーキです!(終わり)

2012年10月26日金曜日

49年前のあの日に会いに・・・2

「今井 大丈夫か!」

リーダーのKさんと同級の内田が来てくれた。アア助かった。よかったあ。

「大丈夫です。」と言ったものの、腰が痛くて身動きできない。

パーティーの仲間全員が降りてきてくれた。早速30m上の道まで上げる仕度を始めた。担架は木を切って作った。そこに細引き(ロープ)を張り巡らせた。

急造の担架に63kgの私を乗せて、運び上げが始まった。私は担架から落ちまいと、必死に掴まっていた。数時間かかって道に引き上げられた。地元の消防団の方も駆けつけてくれていた。やがてトラックの荷台に担架ごと乗せられ、病院に向かった。新潟県立津川病院だった。

診察の結果、第3腰椎が損傷していた。しかし麻痺などの症状もないので、快復を待つだけとなった。ベッドに仰向けの寝たきりの身となった。パーティー仲間が交代で、24時間付き添ってくれた。食事の世話からシモの世話までやってくれた。真夜中でも、声をかけるとすぐに対応してくれた。しかも病室日誌(上の写真)が作られ、私の一挙手一投足が細かく記録された。例えば・・・

7月24日、21:00・・・睡眠薬を飲んだが、効き目なし。

7月25日、0:45・・・今井が眠れないので、イラだっている。アレコレ手を尽くしてもダメ。今井は焦っているし、神経も苛立っているようだ。

3週間後、腰にギプスを装着した。早速立ってみる。足の指が紫色になる。血が足に行かない。一歩も歩けない。情けない。18歳の私が、たった3週間でこのていたらく。情けなくて、涙が出る。しかし身体の回復は早かった。3日も過ぎると外まで歩けるようになった。ついに退院の許可が出た。8月17日である。

入院中、ワンゲル仲間は麒麟山温泉近くの廃屋を、鹿瀬町役場のご好意で、借りられたので、そこから交代で病院にきてくれていた。7月末には母が来てくれたので、私もワガママできた。

 

さて、今回の旅に話を戻す。

車で実川林道を下りながら、パーティー仲間だった内田と吉田に聞いた。

「車で走ってるこの道を、あの日はどうしたの?」と私が尋ねた。

「うーん、覚えてないな〜。この道を歩いたはずだよなあ」と内田が自信なさげに答える。吉田も、

「歩いたはずだけど、思い出せない。でもな、林道を下りきって磐越西線の線路にぶつかったんだ。線路脇で休憩していたら、貨物列車が通って、それが駅でもないところで停車したんだ。ビックリしてたら、最後尾の車掌室の車両に乗せてくれたんだよ。そして鹿瀬駅まで乗せてくれた。」と、当時のことが断片的に思い出されてきた。私は、

「初めて聞く話しだよ。国鉄も粋なことをしてくれたもんだね。」

その後、鹿瀬駅、津川病院と見て回ったが、一つとして当時のことは思い出せなかった。49年の時は、あまりにも長い年月であることを思い知らされた旅であった。

またこの旅で、ワンゲル仲間に始まり、友人たち、学校関係者、病院、鹿瀬町役場、消防団、国鉄などなど実に多くの方々の協力で、私の生命が救われたことを再確認した。本当にありがとうございました。幸いにして、怪我の後遺症もなく今日に至っています。今あるこの生命、大事にします。

記念に雪椿を買ってきました!鹿瀬は雪椿の町だったのです。そして雪椿は、私の憧れの花だったんです。憧れの雪椿に、思い出の地、鹿瀬で出会えるなんて何という巡り合わせなんでしょう。

そういえば、津川病院でお世話になった、あの憧れの看護師さん(カワイコちゃん)にも会いたかったなあ。

 

2012年10月22日月曜日

49年前のあの日に会いに・・・1

10月17日、 磐越道を郡山から新潟へ車は快調に進む。会津盆地に入ったとたん、右手前方に飯豊連峰の雄姿が目に飛び込んできた。飯豊山へのアプローチ、実川林道を進む。しかし林道の途中で通行止め、車を置いて歩く。遥か下に実川が見える。

「なあ吉田。現場の高さはこのくらい?」

「いや、もっと高かったよ。」

「じゃあ、斜面の角度は?」

「こんなもんじゃないよ。もっと急だったよ。」

「なによ、垂直に近かったの?」

「そう。」

突然、恐怖感に襲われた。背筋に電気が走った。足に震えが起こった。近くの吊り橋も渡れなくなった。49年前には起こらなかった恐怖に、いま襲われるとは!

下の写真は震えながら撮った実川上流である。ここよりずっと上流で事件は起こった。

 

1963年(昭和38年)7月17日早朝、前夜の夜行列車を乗り継ぎ、磐越西線日出谷駅下車。雨の中を9人は飯豊山を目指し、無言で歩く。30kgのリュックが肩に食い込み、足取りを重くする。

小一時間も歩いた時だった。

『アッ、誰かが落ちてる。誰だ?エッ、オレだ、オレが落ちてんだ!

ここで死ぬなんて、悔しい!18才。人生、始まってない。死んでたまるか!生きるぞ!恐怖に負けないために、目をつぶれ!何か掴めるものはないか!』

雨で濡れた岩壁を滑り落ちていく。ケガする恐怖も死ぬ恐怖も感じなかった。母と妹(小学1年)のことが脳裏に浮かんだ。(あとで弟に怒られた、何で俺のことも浮かばなかったのか と。しょうがねえよ、浮かばなかったんだから。)

ふと気がつくと、水の中にいた。崩れた土砂が沢の半分を塞いでいた。

『あそこに這い上がろう。』

幸い、川底に足が届いた。腰が水面に出た。立てない。痛い!足が動かせないので、腕だけで岩に這い上がった。全身が痛み出した。うつ伏せのまま、考えた。

『生きてる!オレがここにいることを知らせなくちゃ。』

痛みをこらえながら指笛を吹いた。沢の音に消された。ひたすら助けが来るのを待つことにした。

顔がヌルヌルする。顔をこすった手が、血で真っ赤だった。

『ヤバイッ、怪我してる。オデコだ。血止めだ。』

腰のタオルで鉢巻にして、血止めした。やがて血も止まったようだ。

『早く助けてくれえ。助けが来なかったら・・・。イヤ、絶対来てくれる!』

時はいたずらに過ぎていった・・・(つづく)

2012年10月19日金曜日

青桐 ありがとう!

 

オーイ、ナナ、手伝ってくれ!

知らんぷりかよ。

アッ、今度はウソ寝を始めたな。いいよ、猫の手なんか借りるもんか。1人でやるよ!

今年も涼しい木陰をありがとう。それから、ヘビの脱皮所を提供したり、鳩に巣を作らせたり、毛虫には葉っぱの食事を与えたりとみんなの役に立ってくれてありがとう。

さあ、やるぞ枝切り!

やっと半分に!ここまで1時間半。

枝切りに3時間、やりがいがあったな〜。切った枝は、子ども会の焼き芋用薪にするからね。

そうだよなあ、アオギリの枝切りも先祖代々、100年以上も続いてるんだよなあ。青桐!来年もいい葉っぱを頼むよ。

オーイ、ナナ、終わったぞ。

ありゃ、今度は爆睡かよ・・・・・

2012年10月15日月曜日

星の子タロちゃん物語13・ママのオマジナイ

「タロちゃん!幼稚園に着いたわよ。」

「・・・・・」

「アレ?どうしたのタロちゃん?」

「ママ、幼稚園に行かなきゃダメ?給食食べても、全部吐いちゃうよ。」

「ママが、担任の先生にタロちゃんのこと話してあるから、大丈夫よ。だから無理して全部食べなくていいからね。それから吐いちゃうことも、先生も知ってるから安心して吐いていいからね。」

「・・・・・」

困ったママが、ふと足元を見るとアップルミントがありました。いい考えが浮かびました。アップルミントを一つ摘まんでタロちゃんの手のひらに乗せました。

「タロちゃん、これからママがオマジナイしてあげる。幼稚園でイヤなことが起こりませんように!いいことが起きますように!いいこと、楽しいこと、たくさん起きろ!さあタロちゃん、手のひらをギュッと握って、30数えて!」

「イチッ、ニッ、サンッ」

タロちゃんがリズミカルに数え出しました。するとだんだん声も大きくなりました。

「サンジュウッ。オシマイ!」

タロちゃんは元気よく幼稚園の門をくぐって行きました。

 

お風呂に入っている時、ママが

「ママのオマジナイ、タロちゃんの中にまだ入ってる?」

と、聞きました。タロちゃんは、手のひらのミントの香りを確かめたりして、

「ママのオマジナイね、まだ足の先まで入ってるよ!」

「そうでしょ、ママのオマジナイは、薬より効くんだから。」

今ではママの車から降りると、必ずオマジナイをやってから門をくぐるのが日課となりました。そればかりか30じゃ物足りなくなって100まで数えるようになりました。

おかげで、給食で吐くこともなくなりました。以前のように元気よく幼稚園に通ってます。

子どもの成長って2歩進んで1歩下がりながら成長していくんですねえ。

タロちゃんの心は、「明日も晴れ!!」です。

 

2012年10月13日土曜日

すくすくと・・・

 

先日、小松菜の取り入れが終わったとばかりの山歩前の畑、もうタネを蒔いてトンネルハウスの準備です。さすがに無駄がないです。

隣りの山歩の畑には、

大根が芽生えて、すくすくと育ってます。これならこの冬、お客様に提供できます。

 

今年は畝間を広くしました。地上まで伸びた大根に土寄せできる間隔にしたのです。そうすれば大根が寒さで凍ることもないかなと考えたからです。

大根の種を蒔き、手入れしてるのは、もちろん私じゃありません。友人のFさんです。私は眺めてるだけ・・・ありがとうFさん!

味噌を届けに八ヶ岳へ‼

 

学生時代からの友人の味噌が食べごろになったので、友人宅まで届けることにしました。友人のセカンドハウスが、この八ヶ岳にあるのでドライブがてらでかけました。無事に届けたあと柳生博さんの店「八ヶ岳倶楽部」に立ち寄りました。

柳生さん手作りの森に感動しました。

 

素敵なステンドグラスがあったので、思わず買ってしまいました。今朝、店に飾りました。

走行距離500km、日帰りで行ってきました。12時間の楽しい旅、伴侶とも喧嘩せずのいい旅でした。

2012年10月6日土曜日

えっ!もう取り入れ?

 

山歩前のイオン農場で、一カ月前にタネを蒔いた小松菜が、もう取り入れ時です!小松菜って30日余で育つんですねえ。

 

今朝7時、取り入れが始まりました。

一時間余りで取り入れ終了。イオンの開店時には店頭に並んでいるのでしょう。

隣の小松菜、明朝取り入れるのだそうです。

朝から畑で作業する人たちがいるのって、元気が出ます。 長く使われなかった畑が喜んでいます。

2012年10月5日金曜日

秋色に・・・

 

夏ハゼが、一足早く秋色を輝かせています。

 

銀モクセイが、清純な香りで周囲を秋色に包みます。

空も、もちろん秋色です。

そして今日、ご近所から薪用の杉が届きました。これも秋色です。

さあ来年の味噌づくりのために、薪づくりに取り掛かるぞ~‼ オー!

 

 

2012年10月1日月曜日

従兄弟のKチャン

 

この時計、山歩開店記念に、従兄弟のKチャンが手づくりしたものです。

コレ、Kチャンの名刺です。「木工房 和(カズ)」です。時計などの小物からウッドデッキなどの大物まで何でもやれます。最近は家のリフォーム、店のリフォームも頼まれます。

イトコたちも次々と家の修理を頼んでます。イトコだから安心して頼めるのです。

実は30年前からイトコ会を続けているんです。私の父は8人兄弟姉妹だったので、イトコだけで14人、配偶者を加えると28人、そしてイトコの子(ハトコ)を加えると、ゆうに50人近くになります。年一回、我が家で宴会を持つのです。5月、桜の下にゴザを敷いて持ち寄った料理と酒・ジュースで日暮れまでドンチャン騒ぎ、楽しいです。今はそれぞれの子どもたちも独立したので、夫婦二人の参加になりましたが、続けてます。

というわけでイトコ会メンバーは兄妹同然なんです。今にして思います、気の置けないイトコがたくさんいるって心強いなあと。

従兄弟のKチャンの実名は、今井 和美(かずみ)、男です。電話は、上の写真で分かりますよね。

 

良かったあ、これで済んで

昨夜9時過ぎ、台風17号が山歩にも襲来しました。一頻り激しい風雨に見舞われました。「被害がなければいいがな〜」と思いつつ、いつしか深い眠りに落ちていました。

日中、店の周りを点検しました。畑の柿の木、葉も実もシッカリと付いてます。

庭の獅子ゆずも大丈夫でした。

玄関前の芙蓉が、小枝一本折られてました。被害はこれだけでした。

オーッと、鳥の巣も落とされてました。こんなに上手に巣を作れるのは、何という鳥なんでしょうか?

あれ程の強風にも関わらず木々たちは耐えました。お陰で今日も普段通りに営業できました。