2016年4月4日月曜日

桜に抱かれて・・・(580話)

桜が満開のこの時、叔母(85歳)の葬儀に参列した。穏やかな顔だった。今までを振り返っても、みな穏やかな死に顔だった。それを別に不思議とは思わなかったのだが・・・読経の声を聞きながら、「なんで死者の顔は穏やかなんだろうか?」と、考えた。多分、生きることから解放されたからではないか・・・
出棺の時、棺内は花で埋め尽くされた。いとこの一人が自宅の桜を持って来ていた。それを棺に入れた。桜の香りで満たされた。


       

ふと思った。葬式って要は卒業式なんだ。死は「生の卒業、つまり生きることの卒業」という意味ではないか。遺体は分子や原子に分解され、やがて次のなんらかの生命のタネになっていく。だとすると葬式は新たな門出を祝う儀式ともいえるのではないか。
おめでとう、叔母さん!

納骨の時、叔母の骨は桜色に染まっていた・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿