おチヨさん(私の母)は、大正13年生まれ、12人兄妹の6番目。農家なので、学校にあがる前から野良仕事に駆り出されていた。
ある日のこと、おチヨさんも田んぼ仕事を手伝っていた。オシッコをしたくなって、近くの田んぼにしゃがみこんだ。
「チーッ!どこで用足してるんだ!」
と、おチヨさんを呼ぶ母親の怒声が響いてきた。
「どこって、田んぼ!」
「そのくらい分かるよ。そこは誰の田んぼだ?」
「よその家のだ。」
「よその田んぼに用足すウス馬鹿が、どこにいる!用足すんだったら、うちの田んぼにするもんだ、もったいない。分かったか、このウス馬鹿!」
「ウン、分かったよ、カーヤ(オッカサンの意)」
昭和の初め頃は、オシッコも大事な肥料だったので、こんなエピソードは、どこの家でも見られた。
それにしても、こんなモーレツ母さんに育てられたおチヨさんは、逞しく育った。私を産んで母となって、私が泣こうとすると、
「泣くんじゃね」
と言って、泣かしてくれなかったものである。その反動だろうか、私は60才過ぎてから、しょっちゅう泣いている・・・・・
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