2013年3月9日土曜日

オフクロ 3 おチヨさんの嫁入り

18才のおチヨさんもお見合いを自宅ですることになった。

客間でおチヨさんの両親に挨拶が終わると、料理が並べられ、お酒を出す番になった。おチヨさんは、お銚子を持ってお見合い相手に酒を注いだ。その時、そっと顔を見た。なんと、マスクをしていた。

無事、見合いは終わった。おチヨさんは、相手のマスクを見ただけで、結婚が決まってしまった!

 

数日後、春日部の田中さんが、おチヨさんの家にやって来た。田中さんはおチヨさんの父親に、

「お宅の千代子さんを、家の息子の嫁に貰いたいのだが・・・」

と、話し出した。すると父親は、こう言った。

「田中さん、申し訳ねえ。実はつい先日、松伏の今井さんちにくれると、決まっちゃったんだが・・・」

「そうかい、遅かったか。じゃあおチヨさんの妹でもいいから、嫁にもらえないだろうか?」

「妹の喜恵子でいいんなら、嫁にくれてもいいよ。」

こうして2人の嫁ぎ先が、相次いで決まってしまった。

後に喜恵子叔母は、

「健夫ちゃん(私)、私はね、あなたのお母さんの身代りで、この田中家に嫁いだんだよ。」

と、嬉しそうに何度も語ってくれたっけ。そうだよなあ、これが逆だったら、オレってこの世に生まれなかったよなあ!だけど昔は実に簡単に結婚が決まったもんだなあ。


昭和19年1月、冬晴れの日。おチヨさんが、嫁ぐ日、冷たい北風が一日中吹き荒れた。自宅で晴れの門出の祝いを済ませると、10人くらいの花嫁行列となった。5kmの道のりを徒歩で向かった。まずこの古利根川を舟で渡った。今井家に着いた時は、日はすっかり西に傾いていた。庭先に松明が灯された。その火をくぐって家に入った。やがて嫁を迎える宴が、夜更けまで続いた。

客も帰り、寝ようとした時、ドタンバタンと音がして、怒鳴り合う声が響いた。夫の源さんの両親が、夫婦喧嘩を始めたのだ。ビックリしたおチヨさんは、足袋はだしで実家に帰ってしまった。無理もなかった。おチヨさんの家では、貧しいながらも、家族円満だった。家での喧嘩に出会うのは初めてだった。

おチヨさんは、実家の父親に泣きながら訴えた。

「なんで、夫婦仲が悪い家にオレを嫁に出したんだ?オレは行かない!」

「そこまでは、お父っつあんも知らなかった。オレが悪かった。」

「だから、帰んねかんな!」

「おチヨ!そう言うなよ。向こうでも待ってるから、帰んな!」

「ヤダッ!」

「あのなあ、おチヨ。お父っつあんの話しも聞いてや。おチヨの役目はな、嫁いだ今井家を円満な家庭にすることだよ。いいかい、おチヨ、おチヨならきっとやれる。このお父っつあんとおっ母さんの子だから、きっとできるよ!」

こうしておチヨさんは、泣く泣く今井家に帰ったのである。よかったよ、帰ってくれて。そうじゃなきゃあオレは産まれなかったもんなあ。二度目の奇跡だ!

それから幾度、実家に逃げ帰ったことか。私が小学1年の時なんか、私を置いて実家に帰っちゃったもんなあ。1カ月ぶりに戻ってきた時は、嬉しかったなあ!親に捨てられた子どもの気持ち、わかるよ。

母の努力があって、私が結婚する頃は、すっかり円満な家庭になった。私の妻も円満な家庭作りを進めた。母、妻、と二代に渡る女性のおかげで、今日の今井家はできている・・・二人に感謝‼

 

0 件のコメント:

コメントを投稿